☆祝米寿☆ 林 怡久雄会長
公開日: 2020年6月17日
今回のバースディは、スペシャルインタビュー
当社の創業者である林会長が、数え88歳を迎えるこの機に
バースディインタビューに応えていただきました(お忙しいところ、ありがとうございました)
幼少の頃より、お母さまを喜ばせてあげたくて「丁稚奉公にいく!」と仰っていたそう。
中学を卒業するとともに、お父さまがやられていたメリヤスとタオルのご商売の伝手から、小杉善株式会社さまに直談判
しかし人手は要らなかった戦後の昭和。
しかも、中学を出たばかりの林会長を雇ってまでやる仕事はなかったそうです。
そんな中でも、なんとか本宅に居候させてもらい、
お部屋の掃除から、庭先の水まきまでいろんなお手伝いをされてきたそうです(びっくりです)
当時は現代社会とは真逆で、モノがなく、タオルも配給の時代。
「衣料切符」という券と引き換えに、「綿3号」のタオルを配給するのがお仕事でした。
当時のタオルは、晒しのないキナリのタオル。
今でこそ、晒しはタオルの製造においてとても重要な工程ですが、
大阪泉州・愛媛今治のタオルでさえも晒し工程のない、黒みがかったタオル・・・・。
そんな中でも、当時加古川にあった工場から届くタオルは、晒しをした「白いタオル」。
林会長は当時、この白いタオルにとても感動したことを覚えていると仰っておられました
そしていざ独立の道へ・・・
反対されるのでは…と不安でいっぱいだった林会長ですが、
8年間お世話になった小杉善株式会社さまへ独立のお話しをする覚悟を決めて直談判・・・
昭和32年、「林 怡久雄商店」のはじまりです
「林 怡久雄商店」から現在の「林株式会社」まで、当社は量販店の成長とともに発展してきました。
しかし、成長の過程には大きな決断もあったそうです。
当社が実はパジャマの販売もしていたことは、ご存知でしょうか
「綿のパジャマが一番ええ」と思っていらっしゃったそうですが、
時代は綿ではなく、「レーヨン」や「ナイロン」などカタカナ語の繊維が流行りはじめ・・・
次第に売れ行きが芳しくなくなり、林会長はパジャマをやめると決断されたそうです。
どんなにいい商売であったという実績があっても、「やめる」時期が来ること。
そういった判断を見極めてこれたからこそ、今の当社が存続出来ているのだと感じました。
「パジャマはえらいことでした」と仰る林会長ですが、
もちろんパジャマを販売していたことは悪いことではなくパジャマを販売していたおかげで、
東北や北海道への売り先を開拓をすることができ、
一緒にタオルも買っていただけるようになったことで当社は全国展開ができるようになった。
これは当社にとって必要なことだったとお話ししてくださりました。
そうした決断を経て成長を続けてきた当社
番付表でタオルの林株式会社が上位にどんどんあがっていき、
同業他社から「どうして林さんだけ?」と聞かれることが増えてきて、受け答えに困るほど
林会長は「まじめに、ふつーにやることやっていただけ」と仰っておられましたが
唯一あげるとすれば、ずばり実行力
「え~な~と思ったら、すぐにやる!」とのこと。
そして、同じようにすぐ実行に移してくれる社員に恵まれて、
当社は成長を続けることができたともお話ししてくださりました。
厳しい時代でも、常に社員を大切にされてきた林会長。
どんな苦境でも、がんばって林会長について働いてくださった社員の皆さんへの熱い感謝を感じました。
私たちが感じた大切なこと。
「え~な~と思ったら、すぐにやる!」
従来の実績にとらわれず、違うと感じたら、「やめる」決断もする。
当たり前のことをしっかりやる。
ちなみに、石川県加賀市にある山中温泉には、2か月に1回行かれてきたほど、昔より馴染みのある場所
よく亡き奥様と出かけられたそうです
公私ともに、忙しくされていても、「え~な~と思ったら、やる!」という精神をここでも感じました。
60年以上の歴史がある当社
まだまだお伺いしたいことばかりでしたが時間が足りませんでした
ぜひ、またお話しを伺って皆さんにお届けしたいと思います