今回のバースデーインタビューは、今月めでたく還暦を迎えられた
林社長にスペシャルインタビューをさせて頂きました
社長の意外な 幼少時代のご様子から、還暦を迎えられた今のお気持ちや社員への思いまで
仕事をする上で、参考になるお話もたくさん教えて頂きましたのでご紹介させて頂きます
とにかく小さいころは「ぼーっとしてた」という林社長。
2月で早生まれだということもあり、幼稚園では同じ年のお友達よりどうしても遅れがち。
そんな様子を物語るのが幼稚園での運動会でのエピソード。
メインイベント:かけっこでスタートラインに並んだものの、
実はなにがなんだかまったく理解していなかった当時の林少年
パーンというピストルの合図に走り出すお友達を見て、ん?なんでみんな走ってるの?と
不思議に思ってきょろきょろしていたそう。
やっと走り出した時には、もう遅く、5人中4位という結果に・・・
こんな体裁の悪いことはない とその運動会以来、厳格だったお父様である現会長は、
運動会に来なくなってしまったそう(笑)
でも、本当は俊足だった林社長
小学校に上がると、その才能をめきめきと発揮し、【足が速い】+【はやしくん】をかけて、
あだ名は「おはや」
60歳になっても同級生には「おはや」と呼ばれるそう!
(社員は呼んじゃダメですよ♪(笑) ちょっと意外な社長の幼少期のあだ名ですね♪)
当時の林少年が住んでいたのは、船場商人の町・堺筋本町。(現本社の近所)
当時社長であった林会長は、1か月のうち半分は今治や泉州へ商品の仕入れに行っており、
その間はとにかく買い付けた商品がどんどん家に届くので、おうちの中は、タオルの入った箱でいっぱいに
その隙間になんとか布団をひいて寝ていた記憶が今でも鮮明に残っているそう
仕入れている半月は、タオルで家がパンパンに。
そして帰ってきてからの半月で営業に行けば、タオルがどんどん家から出荷されて、
最後に家の中はすっからかんに
商品は残さない。
この林株式会社の商売の基本ともいえる考えを、少年時代から、身を以て体験されていたのです
その後、親元を離れて生活してみたい!という気持ちを胸に、関東の大学に進学
きっといつかは、林株式会社の社長になるんだ!という強い思いは
ひそかにお持ちだったんだろうなぁと聞いてみましたが、
社長からのお返事は「そんな気持ちまったくなかった!」という意外なお答え(笑)
子供心に、社長として会社を切り盛りする父親の姿を見て、
「同じ分野では僕はこの人にはかなわない。だから違うことをしよう!」
と心に決めておられたそうです
そこで夢中になったのが数学と物理。
当時のコンピューターをつかって様々なシステムのプログラミングを行う理系男子でした。
その才能をかわれ、大学三回生で、大手の有名企業で約1年のインターンシップに参加。
様々な有名キャラクター商品を作るこの会社で生産管理部で学ぶことになりました。
商品の選定や生産数を決める重要な会議に参加する先輩社員を横目に、
インターンシップ生である当時の林社長に任されたのは、
売れ残り商品をまとめて詰めて販売するための福袋の担当でした。
残った商品を詰め合わせていく仕事なんて・・・と思いましたが、
外注倉庫に入っている商品をいかにコストを抑えて出庫し、うまく詰め合わせるかは非常に奥の深い仕事。
倉庫のベテラン社員たちに叱られながら、物流現場の基礎をこの仕事で学んだそうです。
出庫にも入庫にもコストがかかる。
そんな環境の中での仕事を体験しているからこそ、今でも弊社の物流コストに対して厳しい目をお持ちなのだと思います
卒業後は、そのまま同じ会社へ入社。
入社後は、本来の得意分野を生かすべく、社内の財務システムの開発担当になられます
システム開発と言えど、自分のまったく知らない財務の世界。
しかしシステムを作り上げるには、業務内容を理解し、システムを構築する必要があります。
このときつけた財務の知識が社長になった今、会社の財務状況を見るうえで非常に役に立っているそう。
このような経験から、林社長から特に4月に入社する新入社員の皆さんへは、
「どんな仕事でも自分のプラスにならない仕事はない。
与えられた仕事は、自分に足りないものを補うために自分のところに来た学びのチャンス。
きっちりやりきって、自分を一回り大きくするチャンスだと考えてほしい」というお言葉を頂きました
会長からのご要望もあり、その後、ついに林株式会社に入社。
ここから林株式会社の新たな歴史が幕開けしました。
当時はタオルと言えば、日本製が100%。
林社長も今治や泉州のタオル産地へ仕入れに行かれていました。
タオルを知れば知るほど、どんなタオルを作るのが難しいかということがわかってくる。
しかし難しい商品ほど誰も作らない。
難しい商品が商品化できれば、高くても売れる商品になる。
誰でも作れるものは価格競争に負ける。
そんな気持ちが大きくなればなるほど、社長の目は、
そんな難しい商品を一緒に作ろうとしてくれる小さくても融通が利いて、やる気のある工場に向いていきました。
そんな工場と、良い商品を作って、お互い大きく成長していける関係が
社長の理想とされている協力工場との関係です。
当時のいろんなめぐりあわせもあり、業界の中で先駆けて、
日本だけでなく、海外の工場に目を向けた林社長。
パキスタン、ベトナム、インド、インドネシア、中国、ポルトガル、トルコなど
世界中の何百という工場を自分の足で出向き、自分の目で確認して、現在の関係築いていかれました。
とにかく新しい場所に行くことに、何の抵抗もない!という林社長だからこそのなせる業です。
これでもわかるように社長のモットーは、
とにかく思いついたら「すぐにやる!」という事。
考えていても始まらない。とにかく始めて見て、走りながら考え、
そして駄目だと思ったら「すぐやめる!」ことも大切だそうです。
これは、社員である私たちも、各自の持ち場ですぐに実践出来そうなアドバイスですね
一人一人のこのような小さな心がけがきっと大きなうねりとなって
会社全体の空気を変えていくのだと思います
還暦を迎えた今、林社長が改めて社員に伝えたいのは、
「一緒に林㈱を楽しんでほしい」というメッセージ。
真面目になりすぎて、委縮して、肩に力が入り、言いたいことが言えない状態では、決して楽しく仕事はできない。
どうせ働くなら、どんどん自分からいろんなことに挑戦して楽しんでほしい。
社員がどんどん挑戦して失敗しても、林はつぶれない。
そうならないための最終ラインの危機管理こそ社長の仕事だと思ってやっているということでした
楽しんで仕事ができる、それが企業理念でもある
“笑顔とタオルでいっぱいの会社”であり続ける根幹の部分なのですね。
社長として、今までは、太く・短く自分の役割を全うすることが美しい社長像だと思っていたという林社長。
しかし実際に還暦をむかえられた今感じるのは、太く・もうちょっと長く とのこと(笑)
もうちょっとではなく、もっともっと長く、
林株式会社の社長として、そして社員みんなの憧れとして、
これからもエネルギッシュな社長でいてくださることを願っております。
お誕生日おめでとうございます